にぼしめし

備忘録

『それでも町は廻っている』最終回の考察

※「それでも町は廻っている」最終回と、137話と既刊のネタバレを含む。
※この記事の内容は個人の希望に基づいた解釈である。考えの一つとして捉えていただきたい。

2016年10月28日発売のアワーズ12月号で、石黒正数先生の漫画「それでも町は廻っている」が最終回を迎えた。
石黒先生、長きにわたる連載お疲れ様でした。

それ町」は私にとって非常に思い入れのある作品で、きっとこれからも日々の生活に寄り添うように続いてくれると信じていた。私にとって「こち亀枠」であってほしい漫画だった。
緊張と寂しさを抱えて読んだ最終回について、自分なりに考えたことを簡単にまとめたい。

まず、最終話「少女A」は「本当の最終回」ではない。

最終話(138話)に触れる前に、その前月号掲載話(137話)について触れておきたい。
137話「嵐と共に去りぬ」のあらすじは以下の通りだ。
超大型の台風が近付く夜に、歩鳥は夢を見る。夢で、謎の未来人に「明日の台風で多くの人が死ぬ。歩鳥の存在そのものと引き換えに災害を回避できる」と提案され、歩鳥は自分のいない、しかし平和な世界を選ぶ。

次に、最終話(138話)のあらすじを述べる。
尾谷高校3-Aでは、「クラスにいたはずの誰かのことを忘れている」ような違和感を全員が抱えていた。その「少女」を思い出せないまま、放課後を迎える。真田とタッツンは、黒いショートカットの少女の後ろ姿を捉え、思わず走り出す。
……そこにいたのは歩鳥だった。真田とタッツンは、歩鳥に演劇の脚本の進捗を尋ねる。
実はクラスでの会話は演劇の練習であり、脚本担当の歩鳥はオチが思いつかず悩んでいたのだった。

一部まとめサイトを中心として、「オチが思いつかないという作者の叫び」「投げっぱなしの最終回」などと言われているが、私はそうは思わなかった。投げっぱなしの最終回でないのは石黒正数先生のインタビューからも明らかである。
「『それ町』のオチも連載開始当初のもので、前振りは単行本3巻の学園祭のあたりから少しずつばら撒いてきました。前回(中略)は14巻『夢幻小説』の歩鳥の回想へと続いています。」(アワーズ2016年12月号 518頁 2段目 17-22行より引用)

したがって、137話に続くのは14巻収録の「夢幻小説」であり、この話こそが実質的な最終回の役割を担っていると考えるのが自然である。
「夢幻小説」は、「歩鳥が生まれなかった世界」に歩鳥が迷い込んでしまう話である。「歩鳥の抱く根源的恐怖」を描いた、かなり踏み込んだ話である。他の話と比べても毛色が違い、かつ「夢現小説」などとも繋がりを持つ話である。

読者ならば誰もが気付いている通り、本作品には時系列シャッフルシステムが組み込まれている。1話〜2話完結のストーリーを活かして、嵐山歩鳥の高校生活を自由に行き来する漫画となっている。したがって137話と138話の間に連続性はなく、137話に連続した話は既に既刊に収録されており、最終話である138話のストーリー上の続きもまた存在している。
137話と138話が繋がっているように感じるのはミスリードである。
(特に最終回の冒頭は、歩鳥がいない世界かのように読者は錯覚するが、実際は「そういう脚本の演劇の練習」)

以上のことを踏まえつつ、最終話をメタ的な視点で捉えてみる。
おそらく時系列順に正しく並べると、138話は時系列上では最後に位置しない。138話の後も歩鳥の高校生活は続き、物語は続いている。最終話を読んだ後も、読者はその続きの物語を知っている。しかし現実では、来月号のアワーズに「それ町」は掲載されない。
時系列シャッフルによって、構造的に「廻っている」のだ。

つまり、「それ(=最終回を迎えた後)でも町は廻っている」。

このメッセージこそが、「それ町」の根幹をなすテーマであり、最終回に込められたメッセージなのではないかと感じた。
それ町」の掲載は終わったが、丸子町商店街の皆の暮らしが終わったわけではない。これからも日々は続き、町は廻っていく。
現実の私たちの世界も同じである。人が生まれ、死んでも、町は廻っている。
私たちの暮らす町のすぐそばに「あるかもしれない」丸子町の暮らしを、石黒正数先生を通して覗いていただけに過ぎないのだ。読者に見せてくれるのはここまで。

夢現小説」で歩鳥はパラレルワールドに迷い込む。パラレルワールドは1つではない。私たちの暮らす町もまた、「丸子町商店街」のパラレルワールドなのかもしれない。そんな希望を抱きながら町を歩いてみると、いつもと違った風景が見れるのではないだろうか。 

※インタビューの引用につきましては、著作権侵害の意図はありません。問題があれば該当記述を削除しますのでご一報ください。