にぼしめし

備忘録

雑感:『ユーリ!!! on ICE』

心身ともに疲れ果て、なんだか自分が今人生のどん底にいるかのような思いを抱く毎日の中で勧めを受けて、続きを見ずにずっと放置していたユーリonICEを見始めた。正直そんなことをしている暇はないとぐるぐる考えながらも、なんだかんだですぐさま見終わり、涙を流しながらこのエントリを書いている。

 

もう100万回は述べられたであろう感想だが、ユーリonICEを貫く芯は愛である。あえて愛と呼称する感覚は、恋愛だけでなく友愛、親愛、家族愛、郷土愛、そして自分の過去と未来の成功と失敗その全てを愛するような気持ちである。いとおしさであり、優しさであり、許容であり、ひとりではないという思いに起因する強さである。

ユーリonICEの中では愛が循環している。どん底で一人うずくまっていた勇利が、ヴィクトルの手でまた歩き始める。2人は愛で繋がっている。作中で勇利が述べた通り、愛のような感情を知ったのだ。そしてその愛はそこでは留まらない。南くんは勇利への憧れを抱き、敬愛を見せる。最終回後の世界では、きっと彼だけに留まらないだろう。多くの人が勇利の演技に感動し、心を動かされ、なんとも言い難い熱い感情に衝かれる。画面の前にいる私たちを含めて。

ユーリonICEで見られる美しさは強さに起因する。成功だけではない世界の中で、失敗してもなおあんなにも美しいのは、ひとりひとりがそれぞれ異なる強さを持っているからだ。毎回登場するわけではないキャラクターにもそれぞれの人生があり、美学があり、目指すところがある。それを押しつけがましくなく、さらっと見せてくれる。たくさんの人の考察を目にしたが、ステレオタイプの破壊について言及している感想が多かった。フィクションの中にさえ浸透してしまった「永久不変にも思える当たり前」を軽やかに飛び越えていく。マイノリティはマイノリティかもしれないが、それがなんだ?自分は自分じゃないか、という強さがにじんでいる。社会の中で生きる人間につけられたタグをそっと剥がしてくれる。一人として同じ人間はいないというごくごく当たり前の事実を思い出させてくれる。

ユーリonICEのスケートリンクは誰もが心に持っている。冷たい氷の上のただ一人の舞台は本当のスケートリンクだけではない。それは会社かもしれないし、学校かもしれない。あるいは発表の場であったり、小さな勝負の場かもしれない。それぞれの舞台を最高のものにするために、私たちは日々戦っている。そこに作中の人物たちとの差はない。願わくば、その舞台で戦う自分を少しでも愛せますように、との願いが込められているような気さえする。

同じく愛を再定義するアニメである輪るピングドラムが大好きな私が、ユーリonICEを好きにならないはずがなかった。何度でも生まれ変われる強い人間になって、どん底の自分さえも愛せるようになりたい。という推敲もろくにせず書き留めただけのとりとめのない雑感である。