にぼしめし

備忘録

狂って壊れているのは世界か私か:米代恭『あげくの果てのカノン』1~3巻感想

「はい」って言ったら、罰を受ける。
先輩との恋を望んでしまった…これは罰?

米代恭『あげくの果てのカノン』を現在刊行されている3巻までまとめて読み、何とも言えない感慨が溢れてきたので簡単にまとめる。

あげくの果てのカノン(1) (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン(1) (ビッグコミックス)

 

 

 

『あげくの果てのカノン』のあらすじはこうだ。 

「ゼリー」と呼ばれるエイリアンの襲来によって壊滅した東京。
主人公である高月かのんは、高校時代からずっと拗らせ続けている片思いの相手である境宗介先輩と再会する。一途すぎる恋心は先輩との接近によりどんどん大きくなるが、境宗介は「世界を救うヒーロー」であると同時に「既婚者」なのだ。

 

▽破滅への道を辿る世界と不倫

 『あげくの果てのカノン』の世界観は独特である。
「ゼリー」と呼ばれるエイリアンが襲来して久しい東京では、理不尽な襲撃は日常茶飯事である。ゼリーと戦う特殊部隊が組織され、異星人研究も進んでいる。この世界で暮らす人々の価値観でもおそらく「ゼリーがいる生活」は異常なのだが、それはもはや日常と化している。
その中で繰り広げられる主人公・かのんと境先輩の恋もまた「異常な日常」だ。
かのんは既に別の女性と結婚している境先輩への恋心を諦めていない。彼女が先輩を慕う姿は熱狂的で、偏執的で、妄執的で、ストーカー的だ。彼女の恋は家族・友人・知人の全てに否定され、受け入れられることはない。しかし「境先輩への恋」は彼女を構成する全てなのだ。
この漫画を構成する「SF」と「恋」の双方が異常であるという構造がとても面白い。
異常な世界で異常な恋が繰り広げられることで、「逃げ場のないどうしようもなさ」のような雰囲気が醸し出されている。タイトルにある「あげくの果て」という言葉にもなんとなく「どうしようもなく行き着いてしまった結末」のような空気が漂っているように思う。異常な恋の相手である境先輩はゼリーと戦う特殊部隊の一員であり、さながら正義のヒーローであるという皮肉も面白い。

 

▽静かに壊れている登場人物たち

この漫画のメインキャラクターは悉く静かに壊れている。
大好きな先輩との会話を録音し、先輩の使ったものを蒐集し、先輩に関する情報をひとつも漏らさず手に入れようとする高月かのん。美しい妻と世間に賞賛される職と地位を手にしており満たされているのに、破滅的にかのんと逃避行へ駆け出す境宗介。実の姉弟ではないが、姉に恋するかのんの弟。夫が変わることを許さず、執着する宗介の妻。
全員がなにかしらおかしくて、普通に振る舞っているのに狂気が漏れ出してくる。様々なフィクション作品で美しいものと称賛される「恋」だが、この漫画の中ではひたすらに悍ましいものに感じられる。登場する異星人よりもずっと登場人物たちの方が化け物めいて感じられる。だからこそ、読み進めるにつれて「それならば普通とは何なのか?正常とは何か?」という問いが警鐘のように脳裏に木霊する。彼ら彼女らを「異常である」と断罪できるほどに私たちは果たして「正常」なのだろうか?

 

▽高月かのんの狂気

カバー裏や帯ではかのんを「メンへラ女子」と評しているが私はそうは思わない。メンへラなどという可愛くのぼせた存在ではない。彼女は狂気の塊だ。
この記事の冒頭で引用している台詞は第5話(1巻収録)の最後のシーンで印象的に用いられているものだ。注目すべきは、「罰」というワードが繰り返し用いられているにもかかわらず「罪」というワードは一切出てこない点である。かのんは自己の溺れる恋をいけないことであると認識しているが、悪いことであるとは考えていないのではないだろうか。社会的に許されないという認識はあるが、自己の価値観や倫理ではなんらおかしいことではない。だって好きだから。境先輩じゃないとだめだから。そのひたむきさは美しくもありぞっとするほど恐ろしい。

個人的に大好きなシーンは、15話(3巻収録)のラストの会話だ。

「これ以上失望させないでください…」

「失望とか笑える。好きって気持ちに幻想抱きすぎじゃない?(中略)でも、高月さんじゃなきゃ埋められない…「穴」があるんだよ。高月さんも同じでしょ…」

先輩は、神様なんかじゃない。私たちは同じように身勝手な人間で、それでも先輩の存在は、こんなにも素晴らしくて…尊い

こんな「最悪」さえ自ら望んだ。この人となら地獄の道も歩んでいける。

かのんは「諦めたフリをして欲望を隠す恥ずかしい人間」だ。先輩のことを盲目的に崇拝し、手に入らないものと認めながらも心の底では期待して彼と幸せになりたいと願っていた。しかし、この瞬間に本人によってその崇拝と期待を否定される。だがかのんは失望してもなお、その先にあるものを見出す。それは「あなたと幸せになれないのならば、あなたと不幸になりたい。」という矛盾したような強い感情である。ある種の決定的な瞬間であり、もう戻れない領域に足を踏み入れてしまったのだろうと思う。そうしてふたりはこの後境の地元である北海道へと向かう。いけないものを見てしまったような甘い背徳が癖になる。本当に、どうしようもない。

 

▽不変と可変

本編でも繰り返し触れられている通り、この漫画の重要なテーマのひとつが「不変と可変」である。
不変が指すのはかのんの恋心とかのん自身である。高校時代から一途に境先輩に恋し続け、後述するように境先輩が「変わって」しまってもそれでも好きだと言い続ける。そして世界がどんどん崩壊し姿を変えていっても彼女の恋心は変わらない。
対して可変が指すのは境先輩である。彼はゼリーと戦う上で負った傷や欠損を「修繕」する。「修繕」ではゼリーを体に取り込むことになるので、記憶や思考・好みが本人の意に反して変化してしまう。自己のコントロールを外れたところで自己が変化してしまうことを彼は諦め、開き直っている。そんな彼に不変の恋心を向けるかのんという存在に、境宗介自身の自己同一性を見出しているのだろう、と考える。実に壊れている。

極端なまでのふたりの性質の対比がただの不倫話から一歩進んだ物語にしているように感じる。

 

 

とりとめのない感想になったが、この漫画自体に漂うほのかな狂気と破滅の足音が素晴らしく癖になるのでぜひ機会があれば触れてみていただきたい。私は境先輩のどうしようもなく蔑むような眼が好きだ。