にぼしめし

備忘録

偽善と善の差異はどこにある:『灰羽連盟』感想

知人の勧めにより、『灰羽連盟』を見た。以下、視聴して感じたことを散文的に述べたい。

 

 

 まず、この物語の主人公は間違いなくレキである。新しく生まれた灰羽であるラッカの視点で描かれているものの、明らかに「レキの救済」に重きを置いた物語構成となっている。

 

▽レキとラッカが抱える「呪い」
灰羽連盟』の世界観は非常に幻想的かつ曖昧であり、すべての謎に対して答えが提示されるわけではない。謎めいた「灰羽」という存在の中でも特にミステリアスなのが「罪憑き」である。レキとラッカがこれに該当し、彼女たちの羽は純粋な灰色ではなかった。
答えが提示されないとは言え、類推することはできる。灰羽たちが天使のような外見をしていることと最終話のレキの言葉より、灰羽とは死者であり、罪憑きは自殺者であるいう仮説を立てることができる。
この仮説が妥当であるかは置いておくとして、繭から出てくる前の記憶を持たない灰羽たちにとっては、そのような罪はある種理不尽であり、自己の責任の外にある全く心当たりのないものと言えるだろう。感覚としては原罪に近いのではないだろうか。crimeではなくsinとしての罪である。まさに呪いとしか言いようがない。
罪の正体が判然としないことは救済の困難さに繋がる。犯したのではなく、憑かれているのだから自分自身そのもの・人格そのものに原因があると考えてしまう。だからこそ救われたいと祈ることは出来ても、救ってほしいと助けを求めることを躊躇する。こんなに罪深い自分を助けてくれと求めることもまた、罪深い行為のように感じられるように思う。
救いを求めることは、他人を救うことよりもずっと難しい。

 

▽代替不可能性の獲得
最終話で、レキはラッカに対してこう告げる。

「私にとって、ラッカはラッカでなくても良かったんだ」
「ラッカの繭を見つけた時、私は賭けをしたんだ。この灰羽が私を信じてくれたら私は赦される、って」

 

レキにとってはラッカの人格は関係なく、ただ「新しく来た灰羽に優しくして、そして自分が救われること」を求めていただけだった。ラッカがラッカである必要性はなく、取り替えることが出来るパーツだった。
一方でラッカにとってのレキは「ずっと一緒にいてくれた人」であり「救いたい相手」であり「居なくなるのが寂しい」対象である。断定はできないが、ラッカはレキというひとりの少女を正しく見つめていたと考える。レキの代わりは誰にも務まらない。
一方は代替不可能性を見出し、しかし他方はそうではない。そのアンバランスさを突き付けられたラッカは大いにショックを受け、深い悲しみに包まれる。しかし、それでもレキを救いたいと望み、レキの助けを求める声を聞くことができた。

救済が果たされたところで、巣立つレキを前にしたラッカは互いに「再会を信じる約束」をする。ラッカの「私はレキのことを忘れない」というモノローグの通り、ラッカにとってレキはレキという個人のまま、心の中に残り続ける存在である。
レキの方はどうだろうか。ラッカに救われ罪から脱することができたのだが、ともすると「ラッカという個人」ではなく「自分を救ってくれた灰羽」という存在にとどまるかもしれない。しかしながら、何かを信じることを諦めたレキが「信じる」という言葉をラッカに対して向けたことは間違いなく彼女の変化であり、相対して微笑むその瞳はきちんとラッカを捉えていたように思えてならない。

 

▽偽善とは何か
レキは自己を偽善者と認識し、自嘲していた。しかしその偽善は、対象であるラッカをはじめとした他の灰羽たちからすれば紛れもなく善行である。そしてその偽善ゆえにラッカにとってレキが大切な仲間となり、彼女を救いたいという思いを生んだ。その皮肉な救済は、偽善と善にはなんら差異はないと告げているように感じられた。
偽善と善を隔てるものは行為者の認識、ただそれだけではないだろうか。認識ひとつで楽園が牢獄になるようなものである。

 

▽余談
まったくもって余談であるが、ラストシーンで『少女革命ウテナ』の最終話が浮かんだ。ラッカとレキは、ある意味ではウテナとアンシーなのかもしれない。再会し、「いつか一緒に輝いて」くれることを祈るばかりだ。

 

総合的に見て大変良い作品だった。音楽とやや褪せたような独特な色彩が印象深く、物語の哲学性の強調に資していたように感じられる。
暗く寂しい話と捉えることもできるのだが、パンドラの箱の底には希望があるように、『灰羽連盟』のラストシーンもまた希望に満ちたものであるように思えた。